折口信夫・春洋(おりくち しのぶ・はるみ)

折口信夫

折口 信夫:
明治20年(1887)2月11日大阪府西成郡木津村(現大阪市浪速区敷津西町)に父秀太郎(医業)、母こうの四男として生まれる。
明治43年(1910)國學院大學を卒業。大阪で中学校教師をしたのち、國學院大學に勤め、国文学、民俗学、芸能学、言語学と研究分野を広げる。大正10年(1921)9月國學院大學教授となり、昭和3年(1928)5月慶應義塾大学教授を兼任、昭和7年(1932)3月に文学博士となる。
一方で詩歌の才能に優れ、釈迢空の筆名で独自の歌風を確立する。
生涯独身で、門弟の鈴木金太郎、藤井春洋等と同居。昭和19年(1944)7月21日に春洋を養嗣子とする。
昭和24年(1949)7月、春洋の生地である羽咋市一ノ宮町に父子墓を建てた。 昭和28年(1953)9月3日午後1時11分、胃癌のため没した。享年66歳。

 

折口春洋

折口 春洋(藤井春洋):
羽咋郡一ノ宮村(現羽咋市寺家町)に、藤井升義の四男に生まれる。
金沢第一中学校を経て、大正14年(1925)4月國學院大學予科入学。折口主宰の短歌結社「鳥船社」に入り、指導を受け、やがて師と同居する。
昭和11年(1936)4月國學院大學教授に就任するが、太平洋戦争で召集を受け、昭和19年(1944)7月硫黄島に着任。それと前後して折口家の養子となる。昭和20年(1945)硫黄島で戦死、没後陸軍中尉に昇格。折口信夫は米軍上陸の2月17日を春洋の命日と定め、南島忌とする。

 

年号 西暦 折口信夫できごと 折口春洋できごと
明治20 1887 2月11日、大阪府西成郡木津村(現、大阪市浪速区敷津西町)に父秀太郎(医業)、母こうの四男として生まれる
明治25 1892 4月、木津尋常小学校に入学
明治32 1899 4月、大阪府立第五中学校に入学
明治38 1905 9月、國學院大學部予科に入学
明治40 1907 7月、國學院大學予科修了
9月、本科国文科に進む
2月28日、一ノ宮に父升義・母初ゐの四男として生まれる
明治42 1909 10月、東京短歌会に出席、アララギ歌人の斉藤茂吉、伊藤左千夫らと知り合う
明治43 1910 7月、國學院大學国文科卒業し、帰阪。この頃から「釈迢空」の筆名を用いはじめる
明治44 1911 大阪府立今宮中学校嘱託教員となる
大正2 1912 12月、柳田国男主宰の『郷土研究』に投稿原稿「三郷巷談」を発表し、柳田の知遇を得る
この年、自筆本の歌集『ひとりして』を作る
4月、一ノ宮小学校に入学
大正3 1914 今宮中学を退職、教え子を多数連れて上京
大正5 1916 9月、国文口訳叢書として『万葉集』上巻を刊行(中・下巻は翌年5月刊)
國学院大学内に郷土研究会を創立する
大正6 1917 2月、「アララギ」編集同人となる
大正8 1919 1月、國學院大學臨時代理講師となる。『万葉集辞典』刊 4月、金沢市小将町高等小学校に転校
大正9 1920 4月、金沢第一中学校に入学
大正10 1921 9月、國學院大學教授となる。国文学史及び万葉集講読を担当
年末、「アララギ」から遠ざかる
大正12 1922 5月、慶應義塾大学講師を兼任
大正13 1924 4月、古泉千樫の勧めで『日光』同人に加わる
大正14 1925 1月、國學院大學予科生の間に短歌結社「鳥船社」起こる
5月、処女歌集『海やまのあひだ』を刊行
4月、國學院大學予科入学。鳥船社に加入し新派短歌を作る
昭和2 1927 6月、能登へ採訪旅行し、初めて春洋の生家(藤井家)を訪問
昭和3 1928 4月、慶應大学教授(國學院大學教授兼任)となり、芸能史開講
10月、品川区大井出石町に転居。没年まで住む
折口と同居開始
昭和4 1928 4月、折口学の集成『古代研究(民俗学篇1)』、『同(国文学篇)』を刊行
昭和5 1930 1月、第2歌集『春のことぶれ』、『歌の話』刊行
6月、『古代研究(民俗学篇2)』刊行
9月、『釈迢空集』刊行
3月、國学院大学国文科卒業
昭和6 1931 1月、志願兵として、金沢歩兵聯隊に入営
12月、除隊
昭和7 1932 3月、万葉集研究により文学博士の称号を受ける
昭和9 1934 12月、日本民俗協会発足、幹事(事実上会長)となる 4月、國学院大学講師となる
昭和11 1936 4月、國学院大学教授となる
昭和14 1939 4月、箱根仙石原に山荘「叢隠居」竣工。以後例年、休暇の多くをここに過ごす
京都帝国大学史学科特別講師となり、神道を中心に講義
昭和15 1940 2月、『近代短歌』刊行
4月、國學院大學の学部講座に「民俗学」新設
昭和16 1941 3月、『橘曙覧評伝』刊行 12月、太平洋戦争起こり応召
昭和17 1942 9月、歌集『天地に宣る』刊行 4月、召集解除
昭和18 1943 9月、『死者の書』を改訂して刊行 9月、再び応召、金沢歩兵聯隊に入営
昭和19 1944 この頃から春洋の歌稿の整理を始める
3月、『日本芸能史六講』刊行
7月21日、春洋を養嗣子に入籍
7月、硫黄島に着任。陸軍中尉任命
昭和20 1945 3月31日、大本営から硫黄島全員玉砕の発表を知る 3月19日、硫黄島全員玉砕
昭和21 1946 6月、春洋と共著の歌集『山の端』出版
昭和22 1947 3月、戦火のため未出版となっていた『古代感愛集』を改訂して出版
8月、『日本雑歌集』刊行
10月、『日本文学の発生 序説』、『神道宗教化の意義』刊行
12月、『迢空歌選』刊行
昭和23 1948 1月、歌集『水の上』刊行
3月、歌集『遠やまひこ』刊行
昭和24 1949 2月、『恋の座』刊行
7月、春洋と自身の墓碑建立のため藤井家を訪問。羽咋高校校歌の作詞依頼を受ける
9月、『世々の歌びと』刊行
12月、宮中御歌会詠進歌選者を命じられる
昭和25 1949 2月、『日本文学啓蒙』刊行
昭和26 1951 3月2日、羽咋高校に贈った校歌が学校に届く
昭和27 1952 5月、『古代感愛集』、『近代悲傷集』を改訂出版
昭和28 1953 2月、『かぶき讃』刊行
9月3日、胃癌のため永眠。 市内一ノ宮町の父子墓に遺骨を埋葬する
9月15日、歌集『鵠が音』刊行(折口信夫編集)