雷電震右衛門(らいでん しんうえもん)

雷電震右衛門

江戸相撲大関・雷電震右衛門は、天保13年(1842)羽咋郡本江村の寺境(現:羽咋市本江町)の百姓の四男として生まれた。
江戸へ出て、北ノ浦和助を名乗り、元治元年(1864)に初土俵を踏む。明治3年(1870)入幕して兜山和助と改名。この年、東前頭5枚目となり初優勝した。明治6年(1873)には、雷電震右衛門と名前をかえて東関脇となり、明治10年(1877)には大関に進んだ。この年、一行80名をつれて故郷に錦を飾り、その後、阿武松和助(おおのまつわすけ)と改名した。明治13年(1880)6度目の優勝を果たすが、39歳で引退。幕内在位23場所の成績は96勝18敗15分5預で、勝率8割4分2厘という記録を残す。
明治17年(1884)42歳の若さで没した。