山崎 雲山(やまざき うんざん)

山崎雲山

明和8年(1771)羽咋郡滝村(現在の羽咋市滝町)で生まれた。本名は吉、通称を瀧吉、字は元祥。雲山は雅号で、亀岩、石洞陳人、雪芙蓉道人の別号も確認されている。
幼少から耳が不自由であったが、書や画や詩をよくしたといわれる。京都へ出で画の腕をみがき、独自の境地を拓く。京都時代には頼山陽・貫名海屋などと知遇を得た。
天保初年頃に帰郷。近郷で、あるいは能登の各地で商家や豪農などの世話を受け、乞われるまま気の向くまま絵を描いた。
天保8年(1837)金沢で没した。享年67歳。
雲山の絵はいわゆる南画に属し、人物画や花鳥図のほか竹石画も好んで描いているが、多く残っている山水画にその本領が最もよく発揮されている。