本市の名は、万葉集に「波久比(はくい)」と記され、平城京から出土した木簡には、「羽咋(はくい)」、開発神を祀る式内羽咋神社の社記には「羽喰(はくい)」としており、古代からこの地名が伝わっていることがわかります。

地理的には能登と加賀を結ぶ地勢にあり、能登半島の入り口にあたることから「口能登」地域ともよばれています。かつては北部の眉丈山丘陵にはトキが生息し、今も邑知潟には白鳥が飛来するなど、多様な動植物や自然に抱かれた土地です。

歴史的には縄文~中世にいたるまでたくさんの遺跡が確認されています。北陸屈指の弥生遺跡として知られる吉崎(よしさき)・次場(すば)遺跡や「渚の正倉院」ともよばれる寺家遺跡は、ともに国指定史跡として代表的な存在です。
また、能登一宮の気多大社(けたたいしゃ)や、真言宗の正覚院(しょうがくいん)、曹洞宗の永光寺(ようこうじ)、日蓮宗の妙成寺(みょうじょうじ)といった市内の社寺には、建造物をはじめ数多くの文化財が残されています。

こうした自然と歴史を背景に独特の神事・祭礼や生活文化が生まれ、現在へと受け継がれてきました。